古文書の街敦賀を出版しました。

戦国時代から5代目 気比神宮大宮司大中臣朝臣 平松周家「社記」上巻 若狭路文化研究会から発売になりました。
この本は神代から1760年まで書かれている貴重な本です。

「日本最古の神」カタログが敦賀駅インフォーメーションに置かれました。

敦賀まつり
「氣比神宮例祭」

『古文書の街 敦賀』『日本最古の神』ページにをスマホ対応を試みてみました。

発刊に当たって

気比神宮社記 上下巻刊行記念講演のご案内

気比神宮大鳥居について問い合わせました。

気比宮「社記」下巻が出ました。

第25代武烈天皇ご用達角鹿の塩はどこで作られたか

750年を経て空海と菊姫の出会い

日本最古の神 氣比神宮七座の石膏像の販売を始めました。

NHKプラタモリで

2023年114日#253 「敦賀」「すべての道は敦賀に通ず?」が放映されました。

敦賀は南北朝時代の後醍醐天皇の舞台でもあり、戦国時代の織田信長と朝倉義景の戦い、
金ケ崎が舞台でもあります。又7座の天皇が君臨し、大一官幣大社氣比神宮に祀られています。
敦賀から政治が始まった
場所でもあります。又、北前船が有名ですが、その前は石灰が取れ、
土間や畑に使用され、繁栄していたようです。
その後北前船が出て潤ったと聞いている。

当家の裏に線路があり、金ケ崎から東京新橋まで運行されるようになり、舟は衰退したようです。
何もない時代この汽車は唯一楽しみの一つで、幼き頃これを見るのが楽しみでした。
又杉原千畝博物館がリニューアルされ、杉原千畝の書いたビザで6000人の難民が敦賀に到着し、
現在資料が見れるようになっています。

敦賀を紹介して頂きました、敦賀は地震、洪水、災害が少なくやはり神に守られているようです。

敦賀には36人衆がいて、酒田36人衆、お酒、港が繫栄しているのも、敦賀から多くの棚戸移動した、
分家だと思われますが、確り現在も36人衆として健在されています。
この地域には三瀬に氣比神社があります。
ここに限らず多くの方たちが散って、今も確り足跡をのこされています。

氣比宮社記下巻一五一頁(ふれあい財団本)
聖武天皇、太平二十年(748)、将(まさ)に異賊西海を襲い来る。于時(この時)十一月
十一日夜、、震動して、の浜辺、数千の緑松忽然と出現し、翠色高くえ、白鷺樹上において
群集し、白旗のと為す、・・・・・・・・

52年ぶり「獅子頭」
    ご祈祷を賜りました。

2024年奉納
本年は大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

本年辰酒奉納氣比神宮3本氣多大社1本、常宮神社1本奉納いたします。